1日目の観光は「生野銀山」又は「竹田城」 …B670 久美の浜温泉の旅(1)

生野銀山の入場門
今回のハニットアゼリアツアーは、宿泊先に日本海側の京都府丹後の久美浜温泉「みなと悠悠」を選び、往路の1日目に兵庫県朝来(アサゴ)市の「海鮮せんべい但馬」を起点として、1200年の歴史を誇る「生野銀山」若しくは、天空の城として名高い「竹田城」のいずれかを訪ねる旅になっています。

写真は、生野銀山見学組がバスで訪問する、約1200年前に発見され、室町時代に竹田城を堅固な城にした財源として銀を多産した「生野銀山」の入場門です。


銀鉱石こちらは、入場門を入るとすぐ、左手にある「鉱山資料館」の「銀鉱石」の展示標本です。

銀山と言っても、銀がそのまま採掘できる訳でなく、こうした地味な鉱石から精錬されるものなのですが、でも銀鉱石って書いてあると、ありがた~い感じ、しますねぇ。

資料館の中には、生野銀山の歴史資料、生野鉱山の坑道模型などが展示されていますが、この後の坑道見学で、かなり時間を取られますので、取りあえずざっと見るくらいにして、興味のある方は帰りがけに見学が、よろしいかと。


坑道の入口と出口さて「鉱山資料館」と、その向かいにある「吹屋資料館(=江戸時代の銀精錬所)」の次に見えてくるのが、観光「坑道入口」と赤い橋の奥に見える「坑道出口」です。

また、白く見える滝が流れ落ちている川「大谷川」も見えています。


坑道入口その坑道の入口がこちら。夏でも中は一定温度で、涼しいんですよ。

ここは、鉄製の枠組みになっていますが、じきに岩肌も荒々しい銀鉱山らしい坑道に変わります。


江戸時代の採状景やがて、坑道の様々な場所に、こうした往時を偲ばせる等身大の再現模型が設置されています。

ちなみに、この模型は江戸初期の、排水坑を手掘りしている「樋引(ヒビキ)人足」です。

このほか、江戸時代の掘削人夫が這進んだ「狸堀(タヌキボリ)」という狭い穴、それ以降の明治になって近代化された坑道や、昭和になっての坑道などが次々と現れます。


みやげもの売店ぐる~っと坑道を巡って、出口から地上に出ると、30分ほど見学してきただけなのに、胸がす~っとします。

入って来たときにあった「鉱山資料館(※展示品の中の、明治政府に招聘されたフランス人技師コアニェを斡旋したのが「あさが来た」の五代様だとか)」と「吹屋資料館」の間を通って最初の入場口に戻ると、この「おみやげ館」があります。


おみやげ館店内館内は、写真の坑道内で熟成された日本酒やワインを始め、金色・銀色の土産物がいっぱい並んでいます。

色だけでも、金や銀ってリッチ気分になるものですもんね。


竹田城組のタクシーの駐車場お話変わって、こちらは「竹田城組」が、「海鮮せんべい但馬」から、タクシーに分乗して到着した竹田城タクシー乗降所。

ここからは、20分ほどの軽い勾配の山道散歩になります。


坂道、もうすぐ入城チェック所こんな穏やかな坂道を、タクシー乗降所から大手門跡(入城チェック所)まで約700mほど登ります。


石垣登場大手門跡からは、割に険しい石段になり、少し上ると、こんな風にお待ちかねの「野面積みの石垣」が見えてきます。

石段は、かなり凸凹していますが、観光登山客の足元を労わるようにフェルトカバーが施されていて、結構助かります。


北千畳から本丸、天守台を望むこれは、最初の到達ポイント「北千畳」という開けたところから眺めた「本丸・天守台」です。

天空の城、として有名な「竹田城」は、その縄張り規模が南北400m、東西100mという日本屈指の規模で、それが標高353.7mの山頂に広がる様は、さすがに素晴らしいものだと、ここを訪ねた人は思うでしょう。


天守台こちらが、当面のゴール地点「天守台」です。

以前は、石段だけで上り下りが大変でしたが、今はこのように木の階段が設置されているので安心です。

上に登って、360度の正真正銘の大パノラマを満喫してください。


天守台を南千畳から望む天守台からの展望を楽しんだ後、道順に従って帰路に着いて、「南千畳」から「本丸・天守台」を振り返ったところです。

城の建物の無い石垣で構成された景色が、いかにも天空の城にふさわしく見える場所でしょうか。

この後、生野銀山組、竹田城組が「海鮮えびせん但馬」に集合してから、今宵のお宿「久美の浜温泉・みなと悠悠」を目指します。

◆このバス旅に参加してみたい方は、こちらへどうぞ↓
B670 久美の浜温泉 [みなと悠悠]宿泊

明治の最先端工場「富岡製糸場」見学で思うこと

富岡製糸場 | 火曜日 4月 28 2015 6:03 PM | Tags: , , ,

富岡製糸場正門入口
2014年6月に、世界遺産文化遺産に登録されて以来、多くの観光客が訪れるようになった、木骨レンガ造りの工場群が、明治の日本の貴重な外貨獲得産業でした。

この、社会科の教科書でなじみ深い「富岡製糸場」は、でき上がってから143年の歳月が建っている建造物でもあります。

熱心に説明してくれる地元ボランティアさんの活躍と共に、明治時代の建物を補修管理していくことの大変さを感じる観光体験と言えます。


街中MAP地元富岡市の、この製糸場(観光)にかける想いのひとつが、この市内各所にある「まちなか案内MAP」です。

私たちは、観光バスなので、ガイドさんの後を付いて行けばいいんですけど(それでも大体目安になるので)ね。さあ、って歩き出したとき、これは親切を感じます。


正門入口 音声ガイド用QRあり1枚目の入口から入ったところですが、修理工事中の「検査人館」の前にある〝白い看板〟に、場内の要所要所の音声ガイドがスマホで聞けるQRコードが載っています。


場内案内図手持ちの場内案内図ももらえますが、入口正面に見えている「東繭(ヒガシマユ)倉庫」の右に少し行った処に、この「場内案内図」の看板が立っています(図中の赤印)。

グループで回るときには、全体での位置関係を皆で確認できるので便利です。


スマホに取り込んだ音声ガイドこちらが、スマホでQRコードを読み込んだ「音声ガイド」です。(日英仏中韓の5か国対応)

ただし、観光バスで行ったときには現地ボランティアガイドさんが付いてくれるので、あまり…。


東繭倉庫右側・(旧)原料課正面にあるレンガ造りの建物「東繭倉庫」へは、上部がアーチになっている入口を入ると右側にこの「原料課」の部屋があります。

この部屋に入るとすぐに、右側の小部屋が常設の「土産物売店」になっていて、ここならではの絹織製品や、繭を使ったマスコットやキーホルダーなどが並んでいます。


原料課の部屋内の展示物昔は倉庫だった広いスペースには、多数のパネルと当時の備品などが展示されて、富岡製糸場が様々な角度から説明されています。

展示物が多いので、目についたものを観るだけでも大変ですが、読むとなるほど、と思うことも多々あります。(この建物には2階もあるのですが現在は閉鎖されています)


絹織物即売所原料課の部屋を出ると、向かい側にもかつての倉庫スペースがあり、取材時(2014年9月)は、このような地元のお店の絹織物即売会場になっていました。


西繭倉庫東繭倉庫の真ん中通路を抜けると、中庭があり、更に向こうに東繭倉庫と同じような建物「西繭倉庫」が見えます。(こちらは外観のみの見学です)

先ほどの「東繭倉庫」、この「西繭倉庫」、そしてこの先にご案内する「繰糸場(ソウシジョウ)」の、3棟の建物は、2014年12月10日に〝国宝〟に指定されています。


検査人館前西繭倉庫の外観を見たら、一旦東繭倉庫を抜けて、最初に入った東繭倉庫の外壁づたいの見学路に戻ります(或いは順序が逆になるかも知れませんが)。

このように、何組ものボランティアガイドさんの解説を聴いているグループが、そこかしこに固まっています。(写真の修繕中の建物は「検査人館」で、その向こうのグループの後ろは「女工館」)


検査人館ちなみに、取材時には修繕工事中だった「検査人館」も、3月末までの工事期間だったので、今回行く方は、このような建物を目にされるでしょう。
(富岡製糸場フリー画像より)


女工館前から見た「繰糸場」そして、案内図を見ても分かるように、長いこの建物が「繰糸場(長さ140.4m幅12.3m)」です。

写真は、前の写真の「女工館」の前辺りから、渡り廊下越しに「繰糸場」を見たところです。


繰糸場正面入り口正面入り口は、割と、こぢんまりまとまっています。

内部も一部公開されているので、ぜひ入ってみましょう。


繰糸場入口入口から一歩中に足を踏み入れると、吹き抜けになっている内部の高さが12.1mと高く、奥行きもあるのでその広さに圧倒されます。

置いてある機械類は昭和62年に操業を停止した当時の最新自動繰糸機で、創業時のフランス製繰糸機は、岡谷の「蚕糸博物館」や、明治村に保管されているそうです。


ブリュナ館から繰糸場を見る繰糸場を見学したあと、散策気分でそのまま進むとある「診療所」や「ブリュナ館」が、いかにも明治の時代を感じさせてくれます。

明治4年から5年にかけて建設された「富岡製糸場」の経営指導に来日したフランス人ブリュナが、家族と共に明治8年まで暮らしていた320坪もある大邸宅「ブリュナ館」見学で、場内観光は終わります。

◆写真は、2014年9月11日撮影のものです。