国宝善光寺と北斎画の岩松院を訪ねる1日目 …B377 七味温泉の旅(1)

仁王門
豊橋から高速道路を乗り継いで、やがて残雪の中央アルプスや、北アルプスの山々が見えると、そこは信州。今回は、北信州長野周辺の山の旅です。
最初の訪問地「信州善光寺」は、牛にひかれて…の善光寺さんで、この「仁王門」から始まります。
仁王門の、仁王像や背後の三宝荒神・三面大黒天は全て高村光雲と弟子の米原雲海の作で、その原型は「善光寺史料館」に展示されています。
宝暦二年(1752年)に建立されたものですが、現在の門は二度焼失後、大正七年に再建されたものです。


仲見世通り
仁王門の先にあるのは、両側に土産物店などが建ち並ぶ「仲見世通り」です。
修学旅行の学生さんや、私たちのような観光客、地元の参拝客などで大いに賑わっている参道です。
帰りがけに、名物の「七味唐辛子」や「かんずり(雪に晒した唐辛子・黄柚子・米糀・塩を混ぜ合わせ熟成・醗酵させた妙高市・かんずり社の商品)」、「みそまんじゅう」などがお土産にするのがよいかも。


ぬれ仏と六地蔵仲見世を過ぎて、境内に入ると参道の右に見えてくるのが「六地蔵」とちょっと離れて「ぬれ地蔵」です。
写真左の大きなお地蔵様(延命地蔵)は、江戸の大火を出した八百屋お七の霊を慰めたものという伝承から「八百屋お七のぬれ仏」と呼ばれています。
木の陰で全部は見えていませんが、右に並んでいるのが「六地蔵」で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界で我々を救ってくださると云われる菩薩様です。


大勧進ぬれ仏の反対側、参道左の池に架かる橋の奥が「大勧進(ダイカンジン)」です。
この大勧進には、本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が修行をする聖天堂などがあります。
大勧進の住職は貫主(カンス)と呼ばれ、大本願の上人(ショウニン)と共に善光寺の住職を兼ねています。


山門右に六地蔵・ぬれ地蔵、左に大勧進の橋を見て、次にあるのが、この「山門」です。
山門の楼上には、輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。
通称「鳩字の額」と呼ばれており、三文字の中に鳩が5羽隠されているということです。
この門の建立は、寛延三年(1750年)で、平成の大修理(H14-19年)によりサワラ葺きの往時の美しさを取り戻しています。


本堂
山門をくぐると、目の前に見えるのが「本堂」です。
信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様が御本尊で、創建以来約1400年の歴史がありますが、大いに興隆したのは江戸時代になります。
一貫して男女平等の救済を説いていたため、女性の参拝者が多いことが善光寺詣りの特徴と云われています。
開山以来度々火災にあっていて、この「本堂」が宝永四年(1707年)に落成を皮切りに、現在の寺院の伽藍(建物)群が形作られました。
本堂の中に入ると、種々の仏像のある「内陣」や、さらに奥の「内々陣」にある「お戒壇巡り」があります。


日本忠霊殿・善光寺史料館本堂のわきを入ると、三重塔が木立の向こうにちらりと見えます。
三重塔の形の「日本忠霊殿」は、戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です
1階は、善光寺所蔵の什物を展示する「善光寺史料館」になっています。仁王門の仏像の原型もここに所蔵されています。
ここを見るには少し時間がかかるので、バスの集合時刻にご注意を。


岩松院
バスは善光寺を離れると小布施の街を通り抜け、次の立ち寄り先「曹洞宗 梅洞山 岩松院(ガンショウイン)」に到着します。
のどかな田舎の景色の中に建つこのお寺には、名高い「北斎画の発砲睨み鳳凰図」と、小林一茶の句にもある「かえる合戦の池」があります。
岩松院の開創は、文明4年(1472年)で、雁田城主の荻野氏が開基し、開山は不琢玄珪(フタクゲンケイ)禅師と伝えられています。


かえる合戦の池こちらが、本堂の座敷から見た「かえる合戦の池」になります。
春の花見が終わる頃、本堂裏庭のこの小さい池に、大人の手のひら大のアズマヒキガエルがいずこともなく集って来るのだそうですが、最近は随分少なくなりましたとは、このお寺の大黒さん。
かの小林一茶が文化13年(1816年)にこのお寺を訪れ、合戦を見て『痩せ蛙まけるな一茶これにあり』の有名な句を詠んでいます。


発砲睨み鳳凰図本堂中央(大間)の天井に描かれている鳳凰図は「八方睨み鳳凰図」と言い、葛飾北斎89歳の時に描いた絵で畳21畳の大きさがあります。
部屋のどこに居ても、鳳凰の眼が睨んでいるところから「八方睨み」の名が付いています。
大変色鮮やかな絵ですが、160年以上経っていても塗り替えは1度もしていないそうです。
ところで、本堂内は写真撮影が禁止なので、この画像は岩松院さんからの提供になります。


福島正則公霊廟本堂の真裏の石段を登ったところに、戦国武将の福島正則の霊廟があります。
豊臣秀吉の重臣として賤ケ岳の戦いで「七本槍の第一」と称せられ、また関ケ原の合戦では徳川方として戦い、一時は50万石の大大名になった正則公も晩年は幕府の謀略により国替えとなり、この地で没したのです。
…岩松院で昔を偲んだその後は、今宵の宿泊先「七味温泉」に向かいます。

◆このバス旅に参加してみたい方は、こちらへどうぞ↓
B377 七味温泉