弘法大師の開いた高野山は一山を境内とする壮大な安息所

高野山金剛峰寺 | 月曜日 8月 31 2015 11:16 PM | Tags: , , ,

一の橋からの参道
左側カテゴリー欄「B587 信貴山温泉の旅(4)」の記事を補足する形で、真言密教の聖地・高野山の「総本山金剛峰寺(座主の住寺)」と、弘法大師・空海の御廟「奥之院」を、未掲載の写真で改めてご紹介します。

この写真は、前回の「中の橋」から入った奥之院参拝では省略した「一の橋」から入る参道です。
こちらの参道には「関東大震災供養塔」や、「上杉謙信・景勝の霊屋」、「武田信玄・勝頼の墓碑」、「石田三成」「伊達正宗」の供養塔などが、そちこちに並んでいます。


奥之院ガイドマップ戦国時代を中心に、多くの有名大名の供養塔、墓域が並ぶ奥之院の参道は、このような墓所のガイドマップが役に立ちます。

ちなみに、このマップの左端にある「上杉謙信・景勝の霊屋」の左側が「一の橋」方面になります。

また、「中の橋大駐車場」から、玉川に沿って参道を進むと、現代人や企業の墓所が並び「与謝野晶子歌碑」の先の十字路を左折して、「芭蕉句碑」辺りの十字路に出て「一の橋」からの参道と合流します。


奥之院の参道・合流場所合流する辺りは、こんな景色になっています。

青い立札の矢印は、左に「一の橋」、右に「弘法大師御廟(ゴビョウ)」と書いてあります。


加賀前田利長公供養塔こちらの「前田利長供養塔」のように、苔むした層塔が大名の家格を表しています。

さらに、木や石の柵が墓域を囲っています。大体は「供養塔」で、お墓そのものではありません。

有名人のものには、名を記した表示板が建てられているので、見落としはないかと思いますが、大きな杉木立の間の参道は、昼でも薄暗いので、よく気を付けてお進みください。


頌徳殿そのまま参道をまっすぐに行けば、「御廟の橋」を渡って「弘法大師御廟」に至りますが、ここはちょっと寄り道をして「頌徳殿(ショウトクデン)」に向かいましょう。

写真の橋を渡ってすぐにあるのが、三角の屋根の「頌徳殿」で、大正4年(1915年)の高野山開創1100年の記念行事で建てられたもので、現在は湯茶のある休憩所になっています。

その先に「不動堂」「大黒天」の建物が見えています。


水向地蔵こちらは、「不動堂」のそばにある「水向地蔵」です。

お地蔵様の後ろには玉川が流れていて、信者の方々が真冬に水行を行う「水行場」になっています。

この先の「御廟の橋」から先は撮影禁止になっているので、奥之院編はここまでとさせて頂きます。


総本山・金剛峰寺次に拝観するのが、奥之院から大分離れた処にある「金剛峰寺」です。

金剛峰寺の詳細は、左側カテゴリー欄「B587 信貴山温泉の旅(4)」をご覧頂くとして、今回は前回未掲載の写真でご案内させて頂きます。

ちなみに写真内の立札は、2015年4月2日~5月21日の「開創1200年記念大法会」の告知看板です。


主殿の廊下金剛峰寺の「主殿(メインの建物)」の拝観者用の玄関を入ると、このような廊下が続いています。

右側は、「大広間」「柳の間」「上壇の間」など、それぞれ由緒のある部屋が並んでいます。
(解説書きがあるので、興味のある方はご覧になってください)


飛行三鈷杵(ヒギョウノサンコショ)例えば、このような弘法大師ゆかりの法具(の木製レプリカ)なども、展示されています。

ちなみに、これは「三鈷杵(サアンコショ)」という(煩悩を打ち破るための)法具で、飛行(ヒギョウ)と付いているのは、空海が密教を広めるための場所を求めて、この三鈷杵を投げたら、高野山のこの場所に飛んで来た、という話に基づいています。


廊下の案内図玄関入口や、廊下にはこのような、金剛峰寺の建物内案内図が掲げられていますので、参考にされると良いでしょう。

赤い矢印の文字は「内拝順路」と書いてあります。


お茶の接待がある大広間入口やがて、渡り廊下の先に、一服お茶の接待が受けられる「大広間」の入口が現れます。

こちらにも「開創1200年」のタペストリーが飾ってありますね。


台所、竈(カマド)、水漕大広間でお茶とお菓子の接待(入館料に含まれています)を受けた後、「蟠龍庭(バンリュウテイ)」や「四季の中庭」を拝観してほぼ一周、最後にこの「台所」に至ります。

江戸時代から、大勢の僧侶の胃袋を養ってきた台所には、当時のままの「竈(カマド)」や水槽(このときはスイカがぷかぷかしてました)、保存している食料をネズミに食べられないための「吊り保管庫」、2000人分の炊き出しができる三つの大釜などがあります。

◆写真は全て2013年8月9日撮影のものです。