日本初の世界遺産、美しい姫路城はとにかく広い!

姫路城 | 月曜日 5月 25 2015 4:55 PM | Tags: , ,

三の丸広場から見る姫路城
他のお城に比べ、城郭全体がしっかり残っている姫路城は、とにかく広いのです。

写真は、バスを降りて、最初にくぐった「大手門」から先に展開する景色で「三の丸広場」と呼ばれる場所から天守閣方面を眺めたものです。

撮影時期が、平成の大修理前(2008年4月2日)のもので、現在は白鷺城の名の通りの真っ白に変わっていますが、これでも十分「白鷺」ですね。


桜門橋から天守閣遠望ちょっと時計の針を戻すと、城内に渡るこの「桜門橋」の先に「大手門」があり、遠くに「天守閣」が小さく見える、姫路城観光のスタート地点になります。

ここから先は、左にある「検索窓」に『姫路城』と検索文字を入れて出てくる、B557の姫路城観光ブログを補完する形で、城内をご案内しましょう。


菱の門大手門をくぐり、最初の「三の丸広場」(ここは記念写真スポットです)を過ぎると、やがてこの重厚な「菱の門」が見えてきます。

そしてここから先が、本格的な城内探訪となります。


城内図まずは、城内図をよく見てみましょう。

この城内図は、城内をぐるっと一周して、天守閣を見学した後に出て来る「備前丸(城主・池田輝政と家康の娘・督姫の子・忠継が住んだ本丸御殿)」跡地に立つ案内板です。

姫路城の特徴である「螺旋式縄張り(=攻め込んだ敵兵は城内をぐるぐる回らざるを得ない構造)」がよく分かります。

私たちも往時と同じく、「菱の門」→「三国堀」→「西の丸」→結構歩いて→「天守閣」、と辿ります。


千姫がよく利用した「化粧櫓」さて、最初に中を見学する「西の丸」については、B557の姫路城観光ブログをご覧頂くとして、長い廊下と長局と「化粧櫓」からなる「西の丸」には、徳川に滅ぼされた豊臣秀頼の妻であり、家康の娘でもある「千姫」の物語があります。

落城した大阪城から救い出された千姫は、この姫路城で「本多忠刻」と十年ほど暮らしたと言います。


西の丸から移動中その西の丸から出て、こんな高い石垣の間の道を、ずんずん歩きます。

それにしても、この城に攻め込んだ敵兵ばかりか、通常勤務していた方がも、圧迫感を感じたのではと、思ってしまうような道のりではあります。

でも、この構えあってか、一度も戦いに巻き込まれたことの無い姫路城は「不戦不焼の城」とも呼ばれ、城郭のフルセットが今に残ったという、大変運の強いお城なのです。


ここから天守閣に入ります天守閣までの道中に、このお城が14世紀の半ばに誕生してから、幾多の城主を迎えた歴史の数々があり、その先に天守閣(石垣14.85mの上に、高さ31.5m)が、圧倒的にそびえる姿を仰ぎ見ることになります。
※広場に対して、天守閣が大きいので、記念写真を撮るのがなかなか大変です。

この写真は、広場の記念写真後、天守閣内部への入口のある「小天守」側を撮っています。


天守閣内部こちらも「西の丸」の見学と同じで、入口で渡してくれるビニール袋に各自履物を入れての、靴下裸足での見学になります。

長局や廊下をひたすら歩いた「西の丸」と比べ、武具や掛け軸、往時の書き物など展示品が多く、本格的に歴史のお好きな方は、時間が足りないと思われるでしょうね。


天守閣から街を見下ろす折角「天守閣(大天守)」に登ったのですから、民の住む下界を見てみましょう(笑)。

天守閣と石垣の高さ+姫路城が建っている「姫山(海抜45.6m)」も加わって、こんな景色が見られます。


天守閣から出たところそして、ぐるりと中を見学して天守閣の外に出ました。

出口も入口とほぼ同じ「小天守」側です。

この先に、有名な怪談・番町皿屋敷の「お菊の井戸」もあります。また、天守閣には「宮本武蔵の妖怪退治」の話もあるという、今も歴史が息づいているのが姫路城です。


リニューアル姫路城 小上の写真と似た角度からの、現在の「平成の大修理後の姫路城」です、ご参考まで。

(その昔、池田輝政公が完成させた姫路城もこんなに白かったのでしょうか)


姫路城迎賓館(お茶席)最後に、ああ、疲れた~、となった方に、菱の門の外にある「姫路城迎賓館」の、お抹茶(薄茶+和菓子で撮影時350円でした)などはいかがでしょうか。

時代物の余韻を壊さず、一服できるのが良いのです。

◆平成の大修理後のホワイト姫路城の写真以外は、2008年4月2日撮影です。