生駒山に建つ密教寺院の重文特別公開 …C504 宝山寺編
生駒山は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある標高642mの山で、昔から神や仙人が住む山とあがめられていました。
1678年、宝山湛海律師がその生駒山に創建したお寺が「宝山寺」です。
上の写真は「宝山寺惣門(ソウモン)」で、こんな石段の光景が、この先かなりあります。
※「惣門」は、総門と同じく外界との門ですが、「惣(ソウ)」は自治性のある団体を意味し、禅宗の門に多く使われています。
惣門をくぐると、すぐ右にあるのが「和光殿」です。
寺院ではなく、お土産物売り場と休憩所になっています。
普通のお菓子や、仏具のほかに、名産の「宝山寺みそ」があります。
境内を一通り廻って、帰りがけに寄られるが良いでしょう。
和光殿を右に石段を上って行くとある、今回公開の重要文化財「獅子閣」は、明治8年の聖天堂再建の際、腕を振るった大工・吉村松太郎に洋風客殿として建築を依頼して、明治17年に落慶した建物です。
総二階建ての「獅子閣」は、外観が擬洋風、内部は洋風と和風を巧みに調和させた、明治時代の洋風建築模倣の頃の所産として文化的意義が深いものです。
細かい造作の妙を是非ご覧ください。
背後に断崖を背負って建つ「本堂」は、五間四面の重層護摩堂洋式の建物で、宝山寺創建当時の威風が感じられます。ご本尊は、湛海律師作の「不動明王像」です。
また、後方の岩山(岩屋)が「般若窟」で、山の名を「朝日嶽」と云います。
最初の境内図にあるように、本堂の周囲には「拝殿」とその奥に「聖天堂」、「客殿」「線香場」「庫裏」などが建ち並んでいます。
いつもなら、本堂に参拝すればそこでお参りは終了なのですが、これからが本格的な参拝コースになるのです。
線香場の奥にある石段を上ると小さな「文殊堂」があり、さらに進むと写真手前の「常楽殿」と、奥に「観音堂」があります。
さらに、その先に道は続きます。
それほどの坂道でもないのですが、気分的には『まだあるの~』となりそうですが、この先には良いものが待っています!
そのご褒美が、この「多宝塔」の美しい姿なんです。
昭和32年に建立された「多宝塔」は、塔の様式は鎌倉様式、建築細部の意匠は桃山様式に、内陣須弥壇および四天柱は中尊寺と同じ藤原様式によったものです。
建物のある場所は、もと常楽殿があった場所で、別のお堂を建てるために整地した際、奈良時代の貨幣が出土したので、多宝塔建立の場所となったと云います。
多宝塔を眺め、それなりの満足感を味わったのに、
なんということでしょう、さらにさらに道は続きます。
最終参拝地「奥の院」は、もうすぐ(?)ですよ。
奥の院のひとつ手前に建つのが、この「大師堂」です。
元々、寺伝に、あったとされていた「大師堂」は、高祖・弘法大師がこの地で修業されたとの言い伝えもあり、昭和42年に大阪の篤信者が再建したものです。
やっと到着した「奥の院」の本堂は、宝永二年(1705年)に護摩道場として建立された建物で、七間四方という寺内で一番大きな建物だったようです。
その後火災で焼失し、安政三年(1856年)に現在のように、大分小ぶりな瓦葺屋根の寺院として再建されました。
同じ敷地の中にある「開山堂」は、昭和6年に建てられたもので、開山の祖「湛海和尚像」が安置されています。
こんな風に広い境内を歩いて次々に参拝していると、なんだかとても善いことをしたなぁ…、と感慨が湧いてくるものですね。
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「C504-06 大和の薔薇の寺と重文特別公開」